私が見た〝政治とメディア“の現在 11/28金平茂紀氏 オンライン講演会開催!
2022年11月28日18時より、「政治とメディアの現在」と題してジャーナリストの金平茂紀氏をお招きしたオンライン講演会を催しました。当日は北海道での講演会を終えて帰京され、早稲田大学での講義をぬってお時間をとってくださるというお忙しい中での講演でしたが、約130名の聴衆に対して熱く語ってくださいました。以下は実行委員の赤石忍による講演要旨です。
1953年に北海道で生まれた私はいつも、講演に先立って聴衆の皆様に、或る曲をお流ししています。私の大好きなシンガーソングライターの故忌野清志郎氏の曲で、タイトルは「言論の自由」。その歌詞には「本当の事なんか言えない。言えば殺される、本当の事なんか言えない。言えば潰される」とあります。まさに現在、私たちは、そのような状況の中に存在しています。だからこそ私たちはその打開のために「本当のことしか言わない」ことを目指さなければいけません。特にメディアに関係する者たちは事実を伝えることを、今以上に志向していかなければならないと考えます。
本年2022年を振り返ってみますと、おそらく後世の歴史家たちが「歴史の転換点」と位置付けるように、まさに様々なことが起こった一年でもありました。この転換期の大きな特徴としては、「言葉の急激な変質」が挙げられます。これはSNSの影響とも思われますが、例えば「親ガチャ」という、ソーシャルゲームをベースにした言葉が流行しています。この言葉は「子どもは親を選ぶことができない」ということを意味していますが、安倍元首相狙撃事件の容疑者山上徹也被告の動機背景、旧統一教会問題にも繋がっています。また、安倍・菅政権さえ唱えなかった「原発新規増設」、軍備費倍増に加担する「有識者会議」、沖縄・南西諸島の「軍備最前線化」、与党と野党に中間で増殖する、極右と言ってもいいような「ゆ党」、東京オリンピックに続く大阪万博のような「メガイベント」などのように、或る日突然、言葉として身近に存在するようになり、それが国の政策として、いつの間にか推進されていきます。それが「灰色の朝」とも言える、私たちを取り巻く現況と言ってもいいでしょう。故赤木俊夫氏が告発した、森友事件における財務省決裁文書改ざんを国家ぐるみで隠ぺいしたことなどを振り返ると、「果たして日本は、本当に民主国家なのか」という、原点に回帰するようにも思われます。
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2022 年を「歴史の分岐点」とすると、コロナ禍の中で起こった二つの大きな事件、「ロシアのウクライナ侵攻」と「7・8事件(安倍元首相狙撃事件)」が、それに当たると思います。前者は世界で巻き起こっているナショナリズムの台頭、まさに「国家とは何か」を突きつけられた出来事でした。当事者外で二分されている正議論と平和論。正義の戦争を貫徹せよと言う立場と、戦争そのものが人間とインフラを破壊するという立場の背反ですが、外交的手段で解決する役割を担うべき、国連も機能不全を起こしています。
後者の7・8事件は、歴史の「パンドラの箱」が空いた、とも言えるものでした。政治的な抹殺に根差した為政者「暗殺」ではなく、一般の市民が手製の銃で、個人的な憎悪による元首相「狙撃」という特殊性。国民の過剰反応、興奮状態を利用し、この機会に安倍元首相の神格化をはかろうとした「国葬」。作家の高村薫氏がすぐさま指摘したように、よくも悪くも「空気が一変した」とも言えるでしょう。また作家の辺見庸氏は「この事件は近視眼的には過ちだが、多くの問題を抱えている」と発言していますが、まさしくその通りだと思います。献花台周辺では、「帰れ、お前ら日本人か」と罵倒する献花者と国葬反対者との確執、遺体を乗せた霊柩車は防衛省を経由し、会場には自衛隊の儀じょう隊が溢れている異様さ、また、メディアトップや地方の首長への参列招待の在り方やその対応など、様々なことを考えさせる課題が含まれているのではないでしょうか。
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ロシアのウクライナ侵攻を「歴史の切断点」と言いましたが、世界でも日本でも、そのような切断点が存在します。例えば、アメリカにおける2001 年の「9・11アメリカ同時多発テロ」、あれから民主党、共和党問わず、アメリカにおいては、テロとの戦いを国是となりました。また、「ベルリンの壁崩壊」は欧州の構造を変化させ、中国では1989年の天安門事件から、イデオロギーと民主主義の切断がはかられるようになりました。マスクをしない人を冷視するコロナパンデミック、東日本大震災は人々の「暮らし」に対する意識を変えたようにも思います。
このウクライナ戦争は、憲法9条の「戦争放棄」の根源的な精神をも変えつつあるように思います。自衛に対して、いかに考えるべきかと問いを基に、軍備の増強を私たちに迫っています。プーチン・ロシアは戦争という言葉を避け、「特別軍事作戦」という言葉を使用していますが、この行動はまぎれもなく「侵略戦争」です。日本も過去、「自衛」「平和維持」のために他国に軍隊を送り、それを「事変」と呼称しました。軍備を増強していくということは、将来的に現実を変質させ、言葉をも変質させていくように思います。
また、このウクライナ戦争を本当に理解するためには、「キエフ・ルーシの存在」「スターリンによる人為的な大飢饉ホロドモール」「独ソ戦争」「ナチスによるバビ・ヤールの大虐殺」「チェルノブイリ原発事故」「ロシアによるクリミア併合」「ドンバス戦争」「ミンスク議定書」など、その歴史理解を深めていく必要があります。表層的に判断するのではなく、それらを踏まえて、プーチン・ロシアの侵略を糾弾していく必要があるでしょう。
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以前、私がロシア特派員時代に感じていたことに、将来的なロシアのウクライナ派兵がありました。ドネツク州、ルハンシク州の通称ドンバス地方への侵攻は予想がついたもの、よもや、キーウ、ハリキウ、ヘルソンなど、4方向からの全面戦争とは思いませんでした。
2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻の情報を得た時、すぐさま現地へいかなければと思い、トルコ・インスタンブール経由で首都キーウに向かうことにしました。しかし、イスタンブール空港で足止めされ、モルドバ経由に切符を変更しましたが、それもかなわず、ルーマニア・ブカレスト経由で、陸路ウクライナに向かいました。
詩人パウル・ツェランの生誕地である、西部の都市チェルニウツィーで取材を続けましたが、大勢の人々が旧ソ連時代の工場内の核シェルターに避難していました。また、国境沿いの検問所では他国へ逃れる、ウクライナ人民が列を連ねていましたが、妊婦の方に順番を譲るなど、整然と行動していたことに安堵の念を覚えました。
当時、駐在していた日本のメディアはどのように対応していたのかと言われますと、欧州、アメリカ、中東等のメディアに比べますと、腰が引けていたように思います。大方の日本メディアは、国外や比較的安全なリビウに退去して報道をしていました。NHKなどは、国外退去の指示が出ていたようです。それに比して、イギリスのBBC、アメリカのCNN、中東のアルジャジーラなどは、戦争状態の現地に残って報道を続けていましたし、特にBBCは、ロシア兵の戦死体をそのまま映像化し、ロシアはまず前線に、チェチェン人等、少数民族を当てることを、事実として伝えていました。
なぜ現地に残って報道することが必要なのかと申しますと、戦争当事国は「勝つための報道」しかしなくなる、ということです。双方が勝利のために、必ず事実を曲げて報道する、パラレルワールドを出現させるからです。プロパガンダ報道は歴史的な常套手段ですから、中立的な立場からの報道こそが必要です。世界に事実を伝える、そのような姿勢が他国の報道機関に比べて、日本メディアには薄れてきているように感じました。
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ただ私たちが忘れてはいけないことに、ロシア=プーチンではない、という事実です。それはロシアの同盟国ベラルーシでも同様で、為政者のルカシェンコ大統領の発言と裏腹に、私のミンスクでの街頭取材で、人々は「プーチン反対」「間違っている戦争」と言い切り、これこそが大多数の「民の声」だと認識しました。
しかし、日本だけでなく、世界では「ロシア嫌い」が進んでいます。世界的なオーケストラ指揮者であるゲルギエフ氏は、プーチンとの親交を理由に各国の交響楽団から解雇・解任されました。有名なソプラノ歌手のアンナ・ネトレプコ氏、ボリショイ・バレー団等も同様です。スポーツ界の締め出しだけでなく、チャイコフスキーやドフトエフスキーなどの曲目、作品の忌避、あの反体制の象徴でもある、ソルジェニーツィンさえも避けられていることを、私たちはどう考えたらよいでしょうか。NHKはロシア語講座を取止め、NHK-BSの海外ニュースさえも、ロシア・ウェスティの報道を流さなくなっています。
このことは、ロシアと敵対している各国為政者の意向が働いているのかどうかは判然としませんが、すくなくともメディアに関与しているものは、事実に基づいた中立的な立場に位置する必要があります。汚い言葉ではありますが、「強い者のケツを舐める」という表現があります。これは、すすんで権力者に取り入ることを意味しますが、このような生き方、奴隷的な従属は、ジャーナリストとしてだけではなく、「人」としてもしたくはない、してはいけないと思います。今私たちは、このウクライナ情勢の中、「憲法改正(悪)」「防衛費増大」「基地機能強化」「核シェアリング」など、日本にとって重要な、歴史的な問題を突きつけられています。これらに対し、「戦争はしてはいけない」「正義の戦争等はない」「武器供与は戦争加担である」と、私たちは明確に意思表示すべきであると、改めてそのように考えています。(文責・赤石)
★90分超の講演の後は休憩をはさんで質疑応答。時間の関係で全ての質問にはお答えできませんでしたが、ジャーナリスト志望の高校生からの「報道の将来について。報道する側と受ける側にもとめられるものとは?」という質問もあり、金平氏が「一緒に考えましょう」と答えられたのが印象的でした。いつもに比べて若い世代の参加も多く充実した会となりました。(編集部)
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